偲ぶカタチはそれぞれ
モンブラン・ラテ 昨日の食事会は義父を偲ぶ会を、との義母からの急な提案によるものでした。
 仕事や学祭で既に埋まっていた予定を急遽擦り合わせて貰った都合上文句も言えなかったのか、それなりの店で和食でも楽しむつもりだった義母があっさりと折れ、結果山のようなイタリア料理に囲まれる事になりましたが、老人には胸の灼ける食事だったかも。

 義母は最近事ある毎に、○○しなければお祖父ちゃんが可哀想だ、と水戸黄門のように決め台詞を突き付けてきて周囲を翻弄します。それは恰も女帝状態。
 実は彼女が可哀想に思っているのは、連れ合いに先立たれて孤独な自分、と言う構図が見えてしまうのですが、老婆の切なさを思えば大概は譲歩せざるを得ません。
 そうは言ってもここに至るまでの経緯の結果、既にこちらにはこちらの家庭があるのだから、何もかも彼女の思い通りになんて到底無理な話なんですけどね。

 義父を偲ぶ会と言いながら、義父の事を偲べるほど自分は近しく無かったのだと、義父亡きあと知りました。にこやかに話をしたのは認知症状が進行してからの事です。
 あちらの家に遊びに行った時でも義父が話してくれるのは主に昔の、若くて元気な栄光の軍隊時代、結局船に乗ることもなく終戦を迎えた水兵さんの話。
 飽きずに何度も同じ話を繰り返し、聞き飽きて所在ないこちらの世代。
 ゲームや車や家電の話で盛り上がっても、話が合わないとむっつり黙り込む義父。
 認知症らしいと気付いて助言をしても、ぎりぎりまで義母が抱え込んだために、引き摺るように病院に連れて行けたのは随分症状が進行してからのことでした。

 この春の入院で一気に加速した認知症状で、亡くなる数ヶ月前から顔も名前も忘れられてしまった者たちは、正直その時点でたっぷり偲んでしまったのかもしれません。
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| ワタクシゴト::ちょい備忘録 | 05:56 PM | comments (0) | trackback (0) |
 

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