2011,03,22, Tuesday
阪神淡路の震災のあと、普段の備えの大切さを良く思い知った筈なのに、喉元過ぎれば熱さを忘れる、を体現してしまいました。
最初の揺れがすわ関東大震災か?と感じる大きさだったのと(すぐに速報で確認し脳内訂正された)、やれ収まったと思った後も度々揺れがあったので、暫くは呆然と椅子とテーブル下を行ったり来たり。 飲みかけのコーヒーとノートPCと繋がらない携帯を手に家族の無事を祈りつつ、ツイッターに震える指で書き込みする、猫の状態を確認する、揺れの隙を見て家中の落下物を点検する、緊張と不安で何も手に付かない状況でした。 夕方同居人氏が帰宅、帰宅困難者になった同居Guyを、渋滞した幹線道路を避けた裏道を選んで迎えに行き(この時点では後日のガソリン不足など思いもよらず)、地震後すぐに安否を気遣うメールを寄越した(新着問い合わせをする迄未着)別居Guyに連絡、不通だった義母と連絡がつき、叔母と従弟らの無事を確認出来たのは翌日でした。<確認する=被災地では無いけれどかなり緊迫した状況だと認識していた証拠。 その後も何度もの揺れが続き、なんかオカしい、この後の対策を考えるべき?非常用ストックって無かったよね?なんてゆるゆると腰を上げてみた時には、店頭からティッシュもお米も乾電池も他etc.もごっそり消えていたという顛末でした。 2000年問題に慌てて買った灯油ストーブは去年お役御免で捨てたきりお代わりを買っていないし、順次充電型電池に移行中だった乾電池の、単1、単2、単3はアルカリどころかマンガンも在庫無しにしてしまっていたし。。。 そこへ降って湧いた計画停電で、携帯ラジオ、懐中電灯や非常用照明器具が一切無用の長物になるやら、灯油は辛うじて残っていてもファンヒーターは使えないやら、冷え性の友、頼みの綱の足元こたつも勿論使えるワケもなく、如何に今まで、電気という存在に依存していたかを、真っ暗冷え冷えの室内でつくづく思い知りました。 天災人災以前に、自分の不徳の致すところ、ってな話でホント情けない。
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| ワタクシゴト::ちょい備忘録 | 06:51 PM | comments (0) | trackback (0) | |