2012,12,19, Wednesday
図書館で日曜日に借りてきた本の中に、読んでホッとする1冊がありました。随筆・エッセイが置かれた棚にずっと前からあって、何度も背表紙を見ていたのについぞ手に取った事も無かったこの本、「本のお口よごしですが」というタイトルです。
自己中で毒を含むが主流になって、エッセイを読んでも心楽しくなかったけれど、この本は優しい。 時折り脱線はあるにしても、全篇通して仄かに昭和の香りが漂う柔らかさが感じられました。第一刷は1994年で平成なんですが、作者が1944年生まれ、とあって納得。名前に何となく覚えがあって調べたら、なーんだ、1992年にこの作品で講談社エッセイ賞、翌年には別の作品で直木賞も受賞されている大作家だったワケで。競うように人が読む受賞作は避けて通るので、今まで出会う機会が無かったらしい。 良い人もいればヤな人もいて、生き難いのは平成も昭和もたいして変わりゃしないので、あの頃は良かった、なんて言う気はサラサラ無いけれど、ナニも本を読んでまでイヤな気分になることは無いからなぁ。久しぶりに暖かい気持ちで本を閉じました。 |
2012,12,28, Friday
就寝前に読む本を置いてあるコーナーには小説を置きません。冒険譚なら血湧き肉躍っちゃうし、推理物なら謎解きで目が冴えるし、人情物だとぐっと胸が詰まって泣きたくなって、挙句次は?どうなる?と結局は朝までページ捲ってたりして。
深夜の読書は入眠補助剤と定義して、学術書やら歴史の本等、俗にいう固いモノを選んでいます。 ところが先日借りた本の著者の、文の暖かさに感激してもっと他のも読んでみたい、となって図書館で借りてきた、次第。夕食後ちと読み出したらやはり、止められない止まらない。ついには禁を破って寝室に持ち込んじゃいました。 案の定読めども読めども先が気になる。ヤバい、このままでは朝になっちゃうよ。先を我慢して本を置き、えーい!と布団を引っ被ったんですが、ダメ。作中に出てきた猫の事を考えた連鎖で、過去に飼っていた猫らの顔が次から次へと浮かび、夜中に布団の中でシクシクと思い出し泣き。ヤだなー、子どもじゃあるまいし。 決して悲しい本じゃないんです。江戸が舞台の普通の人情話なんだけど、たまたま琴線にかさっちゃって翌日は寝不足。読みたい気持ちをぐっと押さえて、今後も寝室への「小説持ち込み禁」は続行する、と、布団の中で改めて決意を固めた夜でした。 |
2013,01,29, Tuesday
その昔、家具屋を探し回った末に求めるサイズが見つからず、妥協して買ったものの何だか邪魔臭く、天板を切り落とし、それに合うように脚部分を切って継ぐ、という荒業をかました事があります。
普段はその大きさで丁度良いんだけど、焼肉とかすき焼きをする時にホットプレートや卓上コンロを置き、更に具材を盛大に並べるとやっぱりなんか狭い。 考え無しに思い付きでやってしまったツケなんですが、もちっと広さにゆとりを持って食事を楽しみたい。とは言えワゴン等を置くのもなんだかなぁ。猫らが引っ掛かって食事中に大騒ぎ、なんて修羅場を想像してしまいます。で。簡易にその時だけ設置する「ちょっとテーブル」を作ったのが昨年暮れのことでした。コレ、かなり重宝。 蒲鉾板よりちょい大きめの材木2枚に、パイプ通し用のサドルバンド(金具)を2個ずつ取り付けた物を、テーブルの裏に測った幅どおり取り付け、天板になる集成材の、裏面の両側にタップ用キャップを幅に合わせて3個ずつ固定。使う時だけテーブル裏の金具にパイプを通し、天板を乗せてスナップのように止める仕組みです。 作るにあたって購入したのは、天板用の集成材と金具と細い金属パイプ。他は有り合わせの材料で間に合いました。断捨離も良いけど、それをやれずにネズミのように色々貯め込んどくのもこういう時は便利♪自分にはこっちの方が合ってるのかも。 |
2013,02,07, Thursday
日曜日に図書館で借りた本のうち、明治、大正、昭和と生きた著者の本にドップリ浸っています。
その方が晩年に著した所謂回顧録というのでなしに、最初に書かれたのは大正時代、著者が現役バリバリの新聞記者だった頃。再刷されたのは昭和ですが、中身は明治・大正時代そのままの、生で見たことが生で書かれている、リアルタイムの内容です。 現在では使われない漢字だの、摩訶不思議な当て字だのが多用されていて、浅学な自分では辞書無しには意味不明な部分も多々あるけれど、後年捩じ曲げられた歴史を当時の人がどう感じていたかが細やかに書かれていたり、当時の風俗や習慣の緻密な描写だったり。生きている歴史を今の自分が胸ときめかせて読ませて貰っている感覚。 大正時代の描写部分では、幼い祖父や祖母がそこらにちらっと顔を出しているような気さえして。今よりずっと不便で苦しいその時代が良かったとはとても言えないけれど、もしや人の心だけは、現代人が失った何かがあったような気がします。 少し前に鬼籍に入った明治生まれの知人が、丁度この時代を生きた人だったのだなぁ、そう言えば同じような、しゃんとした部分を持っていた方だったなぁ、と、時折ふぃっと彼の人の顔が過ぎって、なんだか温かく懐かしい時間を得ました。 明治大正見聞史 生方敏郎 |
2013,03,17, Sunday
暫く前に螺子がポロポロと外れているのを発見した郵便受け、良い加減取り替える潮時とは思ったけど、取り敢えず修理してみることに決めました。
その後数度の強風を乗り切ってくれたけど、裏から覗いてみたら、支えの板がボロボロに腐食していたのが原因でした。これは修理を急がねば、次に吹く風に飛ばされちゃうかも。 思い起こしても、塗り直しはもう何年前だったか?ナメクジの這った跡は付いているし、ネームの部分は剥がれてミジメ。休み前に寸法を測って板を切り出し、全面にウレタン系の塗料を塗って準備完了。郵便物が来ない休みを待ってポールから取り外して綺麗に拭き清め、ペンキを塗り替えました。おっ、新品同様♪ ネームのアルファベットプレートも集成材の宿命であちこち破損。そのサイズの切り文字がどこにも売っていなかったので一旦剥がし、マスキングテープを貼って切り出して塗り文字にしたんですが、これが大失敗。はみ出たペンキを同居人氏が丁寧に修正してくれたので、どーにか見られる状態になりました。手間を掛けさせてスマン。 新しい郵便受けを買ってしまえばそれまでのことだけど、二人三脚の作業を楽しんだ末に完成した郵便受けの出来もなかなかです。また数年、風雨に負けず頑張ってね。 |