2007,01,17, Wednesday
12年、ですか。
寝ぼけ眼で点けたテレビに繰り返し映された映像は、 ヘリコプターの音とリポーターの声以外無音の世界。 倒壊したビル、ちぎれた高速道路に引っかかるバス、 真横にバタンと倒れた高架道路…どのように見ても 何が映っているのか理解できなかったのは、余りに 現実離れした惨状だったからですね。 恐ろしい教訓を思い出す都度、普段から備えをしておかなきゃと考えてはいても、 当時買い揃えた水や非常食の期限が切れていくうちに元の木阿弥になりました。 これさえ備えておけば必ず大丈夫的な物なんて決して無いでしょうし。 厳冬期に電気が止まる→ファンヒーターが使えない<これが耐えられそうもなくて 慌てて買った旧式の灯油ストーブだって、天地がひっくり返ったような家の中では 間違いなく無用の長物だと後になって気が付きました。 『三日分の食料と飲料水、懐中電灯と救急セットを非常持ち出し袋に入れて置くべし』 理屈は判るけどさ。散乱した家具や壁の中に埋没したらどうやって発掘しようかしら? 続き▽ |
2006,12,30, Saturday
ブログに彼女の事を書く以上、最後をきちっとまとめよう。
彼女の病気を知った日からずっと心に決めていました。 書かなかったら何事も無かった様に避けて通れますが、 居る事をネタに使わせて貰ったからには、お礼も込めて 在りし日の彼女の姿を留めておきたい、と。 今日は自己の辛さを軽減すべく書き記す自己中文です。 苦手な方には申し訳ない。 小さな小さな彼女を拾った時、家には既に雄猫が2匹。 共に2歳未去勢の雄で拾った猫が雌、事態は深刻です。 小さな雌猫が初サカリを迎える前に開腹の避妊手術は どう考えてもリスクがあるような気がして、2匹の雄達に オカマ猫さんになって貰う事にしたのが、つまるところ 彼女の病気発生原因となったのだから皮肉です。 この病気、未避妊高齢雌猫に多発、と後に知りました。 随分前、胸にしこりを見付けてからは、手術をすべきか どうかと、資料を探しては検討を繰り返しました。 隣家の雌犬さんも同じ病気で手術をし、その後驚くほど 早く亡くなったのは丁度その少し前でした。 調べると腫瘍を含む部位の皮膚も筋肉もごっそり取り、 術後も再発は避けられず、一時的な回復にすぎない、 とのこと。 数年の延命を望んで辛く苦しい手術を受けさせるか、否か。選択した答えはNOでした。 動物愛護の精神、がこの選択を是とするか非とするかは知りませんが。 言葉を発しない動物と暮らす人間にこんな時出来る事は、自分がもし同じ立場だったら、 周囲に何を望むか、と考えて結論を出すことしかありませんでした。 実際の話、彼女とはちょっと似ていたせいか(家族談…)折り合いが良かった、とは言えない 仲でした。昔から雌とはどうも上手く付き合えない体質で、雌犬も雌猫も若干苦手です。 それでも家の近所で苦境に陥ってニーニー鳴いている子猫を黙って見過ごす事も出来ず、 家へ連れて帰ったものの、ちょっとスリッパが背中の毛に触ったと言ってはシャーッシャーッ とお前は勝○かっ、と呆れる様な声を上げこちらの足をバリバリ引っかく怒り方をしましたし、 他の猫たちが側に寄れば神経質に長い尻尾をパタッパタッと不快気に振りまわして威嚇し、 『縞ヘビ』やら『お縞』(極道の姉御風)やらとあだ名される、おっかない猫だったですけどね。 それも10歳くらいまでの話で、年をとってくると段々穏やかになってきて、家族に好かれる 優しい雌猫になっていき、最後数年は本当に人懐っこく擦り寄る姿を見せるようになって、 しっかり自分を印象付けて手元から去って行ったような気がします。 冷静に考えれば、縄張り争いの末強臭スプレーイングの犯行は殆ど彼女の仕業でしたし、 生来の病的な抜け毛とブラッシング嫌いの果て、家中の家具衣類に付いた毛の掃除に 泣きたくなった事もありましたし、先輩の雄2匹を猫パンチと猫キックで恐怖に怯えさせて いましたし、うん。確かに欠点の多い猫ではありました。 そういうモノを一切合財チャラにして泣かせて逝くんですから、勝手なものではありますが、 亡くなる前夜まで高齢猫用ゼリータイプレトルト食を1食⅓づつとは言え懸命に食べようと 努力した姿とか、大変な思いをしながらもトイレできちんと排泄する姿とか、よろけながら お気に入りの椅子に登る姿を見ると、自分も死ぬ時には他人の手を煩わさずかくありたい ものだと、見倣うべき気高さと性根の強さを感じたものです。 今思えば、いかにも猫らしい猫、だったんでしょうね。 どうか彼女の魂が安らかでありますように。14年間、ありがとう。お疲れ様でした。 ※写真嫌いな彼女が美しく撮れている写真、少なくともデジカメ映像にはありませんでした。 大量のアナログ写真から探し出し、スキャナを通して、と言う作業は今出来そうにないので、 ちょっとおブスな猫さん勢揃いの図、になりました。 彼女の名誉のために付け加えておきますが、実物はスレンダーな超美猫でしたよ。 |
2006,12,29, Friday
しらっとトップページに門松なんぞ飾ってありますが、
実はクリスマスも例年通りには楽しめない状況でした。 14歳の♀猫さんの乳腺潰瘍が今月半ばから悪化し、 重篤な状態になったため。 毎日そおぉっと優しく様子を見守ってやるだけでしたが、 今日の午前中、静かに猫の星に帰って行きました。 毎年ツリーを出す位置に彼女が臥せっていたので、今年は諦めて小さなツリーで代行し、 驚かす音も立てられないので、クラッカーもご法度。そうして静かに過ごした聖夜には、 思いがけず小さな奇跡も起きました。 今までの食事が摂れなくなり、苦しい中レトルトを取り出すと、『食べたい!ちょうだい!』 と頭をやっと持ち上げて食べていた毎日なのに、イブの夕食には猫又くんがいつも通りに 貰うカリカリの音を聞きつけて、餌の場所まで歩いて以前のように座っていました。 26日に遊びに来た別居Guy君には久々にたっぷり背中を撫でて貰って幸せそうでしたし、 昨夜はいつもべったり傍に居た猫又くんを邪魔だ!と猫キックで追い払う荒業も披露して ひょっとしたら少しは元気を取り戻してくれるかも、と淡い期待まで抱いてしまいましたが、 同居人氏の冬休みを待っていたかのように今朝、思ったより安らかに旅立ちました。 覚悟は出来ていたし、彼女の苦しみが長引くのも辛かったので、今は悲しむ気持ちよりも 彼女が苦しまないで済むようになった事に救いを見出しています。 動物を飼っていれば、否、生き物と暮らして行く以上、その日は常に来ると知っていても 涙無しには書けないし、頭がち~とも回りませんが。 ゴミ捨て場で手の平にすくいあげてから14年。 うまく命を繋いでもせいぜい3~4年生きる野良猫暮らしよりは、餌と寝床の心配をせずに 我が家で過ごした拾い物の年数を、きっと楽しいと感じて生きてくれたと思います。 |
2006,12,02, Saturday
14年ですからね~。長かった。
生きているうち、優勝の喜びは味わえないかと思った。 今夜は選手の名シーンを語り合いながらお祝いです。 献立はすき焼き♪お肉は豚だけど。。。^-^; おめでとう!選手の皆さん。 おめでとう!ブッフ。 そしておめでとう、長く待ち望んだ全てのサポーターたち。 |
2006,09,11, Monday
未明にふと目覚めて見上げた天窓は
めまぐるしく色を変える閃光のShowtime。 眩しさに目を細めつつ、しばし光の饗宴に見入りました。 透明ガラスではないので稲妻は見えませんが、 その内に雷鳴のBGMも段々にボリュームを上げ、 時折りどこに落ちたか、凄まじい音を響かせます。 ひときわ強い光が窓から流れ込んだと感じた瞬間、枕元のスタンドが独りでに点灯しました。 余程の電気が近い所を通ったのでしょうか。こんな時安全な建物の中に居られる事に感謝。 もう5年なのか、まだ5年なのか。 あの日から今日で5年と知って、随分最近の事だったという驚きの方が強い。 記憶を隅に追いやりたい気持ちからか、ずっと過去の事だと思い込もうとしていたのかも。 人の腹を割き、そこへ人を捻じ込むような、人間の尊厳を踏み砕く映像に、 事実か虚構かも判然としないまま、息を呑んで家族と見つめたTV画面。 数日後書いたお悔やみの文章に、「お知り合いの方でも?」と問うた方の言葉を思い出す。 遠い国の、見知らぬ方の災難に対する過剰反応と受け取られたのかもしれない。 物質的には彼我の区別をしっかり。人の物は自分の物ではないという認識を徹底する事。 精神的には彼我の区別をあいまいに。人の喜びを自ら喜び、人の悲しみを自ら悲しむ。 当たり前だけれど、「人」として完成されるというのは、そういう事ではないか、と。 時の墓碑銘の小池民男さん(故人)なら、今日どんな記事を書かれたろうか。 読んでみたい気がする。過去にifは無いのを承知のうえで。 |