2006,09,11, Monday
未明にふと目覚めて見上げた天窓は
めまぐるしく色を変える閃光のShowtime。 眩しさに目を細めつつ、しばし光の饗宴に見入りました。 透明ガラスではないので稲妻は見えませんが、 その内に雷鳴のBGMも段々にボリュームを上げ、 時折りどこに落ちたか、凄まじい音を響かせます。 ひときわ強い光が窓から流れ込んだと感じた瞬間、枕元のスタンドが独りでに点灯しました。 余程の電気が近い所を通ったのでしょうか。こんな時安全な建物の中に居られる事に感謝。 もう5年なのか、まだ5年なのか。 あの日から今日で5年と知って、随分最近の事だったという驚きの方が強い。 記憶を隅に追いやりたい気持ちからか、ずっと過去の事だと思い込もうとしていたのかも。 人の腹を割き、そこへ人を捻じ込むような、人間の尊厳を踏み砕く映像に、 事実か虚構かも判然としないまま、息を呑んで家族と見つめたTV画面。 数日後書いたお悔やみの文章に、「お知り合いの方でも?」と問うた方の言葉を思い出す。 遠い国の、見知らぬ方の災難に対する過剰反応と受け取られたのかもしれない。 物質的には彼我の区別をしっかり。人の物は自分の物ではないという認識を徹底する事。 精神的には彼我の区別をあいまいに。人の喜びを自ら喜び、人の悲しみを自ら悲しむ。 当たり前だけれど、「人」として完成されるというのは、そういう事ではないか、と。 時の墓碑銘の小池民男さん(故人)なら、今日どんな記事を書かれたろうか。 読んでみたい気がする。過去にifは無いのを承知のうえで。 |