2001,05,31, Thursday
5年前に大切な人を失い、3週間食事も喉を通らない日を過ごした。
大正4年生まれ。若くして夫と死別し、1人で3人の娘を育て上げ、 孫の私や妹たちまでも、親に代わって慈しんで育ててくれた人。 80歳だった祖母。相応の年だからといって、納得など出来なかった。 つい最近、相次いで自分と同年代の知人の訃報に触れた。 一人は友人の姉。 妹の献身的な看病も届かず、楽しみにしていた桜を見た後亡くなった。 もう一人はPTAでご一緒したことのある知人。 ご主人と、たった一人の中学生のお子さんを残して旅立って行かれた。 二人とも平均寿命のそろそろ半分にさしかかり、子育ても一段落。 やっと自分のやりたい事に集中できる、これからの時、だったのに。 『子供の自立は何故必要か。あなた方がいつ居なくなっても良い為、にです』 先日、とある講演会でどこかの偉い先生がお母さんたちに向けて投げた言葉。 そうかな?とてもそんな割り切った考え方、出来そうもないや。 いくつになっても親は親だし、子も子。 子どもが成長するに従って、お互いの生活に密着しなくなるだけの話。 そのために常日頃から子どもを自立させる努力をしなさいよ、って話だとしても 親が居なくなっても良い為、なんて言葉は、悲しくて耳を塞ぎたくなる。 いくつなら駄目で、いくつなら良いと計れる事ではないし、 いずれ自分の身にその日が来るのも当然のこと。。。でも。 彼女たちを喪った痛みが私に、小さな欲求を起こさせた。 何と言うこともない、漫然としたものであっても良い。 「今、生きている形」「私がここに居る証」を表したい気持ちを。 自分の内面を見つめて、一つ一つ形に表していこう。 彼女たちの「生きてきた命」を忘れないためにも。 |