2006,12,30, Saturday
ブログに彼女の事を書く以上、最後をきちっとまとめよう。
彼女の病気を知った日からずっと心に決めていました。 書かなかったら何事も無かった様に避けて通れますが、 居る事をネタに使わせて貰ったからには、お礼も込めて 在りし日の彼女の姿を留めておきたい、と。 今日は自己の辛さを軽減すべく書き記す自己中文です。 苦手な方には申し訳ない。 小さな小さな彼女を拾った時、家には既に雄猫が2匹。 共に2歳未去勢の雄で拾った猫が雌、事態は深刻です。 小さな雌猫が初サカリを迎える前に開腹の避妊手術は どう考えてもリスクがあるような気がして、2匹の雄達に オカマ猫さんになって貰う事にしたのが、つまるところ 彼女の病気発生原因となったのだから皮肉です。 この病気、未避妊高齢雌猫に多発、と後に知りました。 随分前、胸にしこりを見付けてからは、手術をすべきか どうかと、資料を探しては検討を繰り返しました。 隣家の雌犬さんも同じ病気で手術をし、その後驚くほど 早く亡くなったのは丁度その少し前でした。 調べると腫瘍を含む部位の皮膚も筋肉もごっそり取り、 術後も再発は避けられず、一時的な回復にすぎない、 とのこと。 数年の延命を望んで辛く苦しい手術を受けさせるか、否か。選択した答えはNOでした。 動物愛護の精神、がこの選択を是とするか非とするかは知りませんが。 言葉を発しない動物と暮らす人間にこんな時出来る事は、自分がもし同じ立場だったら、 周囲に何を望むか、と考えて結論を出すことしかありませんでした。 実際の話、彼女とはちょっと似ていたせいか(家族談…)折り合いが良かった、とは言えない 仲でした。昔から雌とはどうも上手く付き合えない体質で、雌犬も雌猫も若干苦手です。 それでも家の近所で苦境に陥ってニーニー鳴いている子猫を黙って見過ごす事も出来ず、 家へ連れて帰ったものの、ちょっとスリッパが背中の毛に触ったと言ってはシャーッシャーッ とお前は勝○かっ、と呆れる様な声を上げこちらの足をバリバリ引っかく怒り方をしましたし、 他の猫たちが側に寄れば神経質に長い尻尾をパタッパタッと不快気に振りまわして威嚇し、 『縞ヘビ』やら『お縞』(極道の姉御風)やらとあだ名される、おっかない猫だったですけどね。 それも10歳くらいまでの話で、年をとってくると段々穏やかになってきて、家族に好かれる 優しい雌猫になっていき、最後数年は本当に人懐っこく擦り寄る姿を見せるようになって、 しっかり自分を印象付けて手元から去って行ったような気がします。 冷静に考えれば、縄張り争いの末強臭スプレーイングの犯行は殆ど彼女の仕業でしたし、 生来の病的な抜け毛とブラッシング嫌いの果て、家中の家具衣類に付いた毛の掃除に 泣きたくなった事もありましたし、先輩の雄2匹を猫パンチと猫キックで恐怖に怯えさせて いましたし、うん。確かに欠点の多い猫ではありました。 そういうモノを一切合財チャラにして泣かせて逝くんですから、勝手なものではありますが、 亡くなる前夜まで高齢猫用ゼリータイプレトルト食を1食⅓づつとは言え懸命に食べようと 努力した姿とか、大変な思いをしながらもトイレできちんと排泄する姿とか、よろけながら お気に入りの椅子に登る姿を見ると、自分も死ぬ時には他人の手を煩わさずかくありたい ものだと、見倣うべき気高さと性根の強さを感じたものです。 今思えば、いかにも猫らしい猫、だったんでしょうね。 どうか彼女の魂が安らかでありますように。14年間、ありがとう。お疲れ様でした。 ※写真嫌いな彼女が美しく撮れている写真、少なくともデジカメ映像にはありませんでした。 大量のアナログ写真から探し出し、スキャナを通して、と言う作業は今出来そうにないので、 ちょっとおブスな猫さん勢揃いの図、になりました。 彼女の名誉のために付け加えておきますが、実物はスレンダーな超美猫でしたよ。 |